東京都むそう村

東京都むそう村
1971年2月14日 毎日新聞日曜版
 1971年2月14日の毎日新聞日曜版で紹介された佐伯農場の写真を見た東京の会社社長より、子供達に自然を体験させてやりたいということでキャンプさせてほしいとの依頼があり、当時の農場主である佐伯雅視氏の父である柾次(故人)が承諾し、農場の一角を「東京むそう村」として解放。
 翌年から子供達が夏休みに訪れ、キャンプ生活をしながら独自の村運営を行っている。

 むそう村はリーダー格の大学生と、小学校3年生~高校生の総勢約40名が訪れ、野外での共同生活を軸に、キャンプファイヤー、ハイキング、創作活動などを行っており、中標津町の子供達との交流も計られている。

 むそう村の参加者は特定の地域や学校に限定する事無く、主に参加者の口コミによって広がり、小学生の時に参加した子供達がやがて大学生になって団体を引き連れてくるケースや、OBとなったメンバーが、家族や恋人、友人を連れて訪れる事も多い。

 子供達は様々な体験をし、社会生活の掟を学び、都会と中標津町の子供達との交流でお互いに視野を広げ、成長過程おいて非常に大きな経験をし、学んでいる。近年は学生のボランティア意欲が低下したこともあり北海道夏キャンプが困難な状況にあることは残念だ。
 自主的な運営がモットーの「むそう村」、再開が望まれる。

東京都むそう村


 決して短くない「むそうの会」の運営のなかで、会報を一度も発行してなかった言うことを考えてみれば不思議なように思われます。植物が春になって初めて芽をだすように、あらゆるものにふさわしい順序と時期があり、ようやく「むそうの会」にも会報の一つが存在しなければおかしい時になりました。

東京都むそう村
むそう村創設者 澤藤巌さん
 わずかながらもそれだけ成長したのかとおもいます。むそうの会には他の会にみられるような限定した目標はありません。共通の話題を得るためにサロン的に集まっていた数人の人たちに掲げられた小さな旗が、この会のきっかけになっていることに見られるように、まず、旗ありきではなく、まず、人と人とのつながりありきという事実が今までの「むそうの会」を性格づけているように思います。
 むしろ、性格を特徴としていくべきではないかと考えます。ただ、「むそうの会」が人と人との集まりである以上,共通の約束はしておく必要がありましょう。
   その約束の上に立って自分がやりたいと思うことについて、具体的に行動できる場であることが。会員一人一人に対する「むそうの会」の存在意義となりましょう。北海道での共同生活を通して、環境問題とか、人と人とのつながりを考える事とか幼児教育以外にいくつかの旗としてでてきました。

 時が移り旗手が変わるとも、誰かが必ず旗を支え、そして絶ゆることなく前進していれば、それを社会にたいする存在意義であると思います。そして、私たち会員はそれぞれの選ぶ旗の下に集い、或いは自分たちの好きな旗を掲げ、支えつつ具体的に行動していく事を約束しましょう。




開拓婦人ホームを使用していた頃

思い出のアルバム表紙

47年10月号北海道観光百景
グラフ特集

70年代後半ドームテント制作



こんなにたくさんの参加者がありました

学生たち手作りの
キャンプ心得の手引き

むそう村周辺地図

佐伯農場旧牛舎の前で


98年正樹村長時代
クラブハウス周辺で子供達と



むそう村地図


2001年村長イトケン

むそう村倭人伝30周年記念開催


 

ドームテント内30年たっても健在

トレーラーハウスに乗って

むそう村野外食堂で

2002年村長ナル

むそう村から見える「サイロのある風景」

Tシャツデザインコンテスト




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